江戸時代の建築・都市計画に大岡越前や遠山金四郎が関わっていた
大岡越前が瓦葺屋根を普及させた
明暦の大火によって、1657年の法令で防火性能の高い土蔵造りが奨励され、同時になぜか瓦葺が禁止されました。
3年後には、藁や板葺きの屋根の表面を牡蠣殻で覆うよう触書が出されましたが、瓦葺は禁止されたままでした。
1719年に瓦葺き禁止令が解禁されましたが、一度禁止された建築材料が普及するには至りませんでした。
そんな瓦葺建築を普及させたのは、一昨年はリメイクドラマで東山紀之さんが主演を演じた「大岡越前」でした。
大岡越前が、普及対策として番町と麹町の屋敷に瓦葺による改修を強制したことで、瓦葺に対する注目が集まり、その後の江戸の屋敷町に瓦が広まったそうです。
お奉行さまは時代劇では悪を倒すのが主な業務ですが、現実には江戸の都市計画にも関わっていた、みたいな話でした。
遠山金四郎の「大工の金さん」はピッタリの設定
大岡越前以降の南町奉行として名高い「遠山の金さん」こと遠山景元は、実像も庶民派お奉行さまだったため広くドラマ化されました。
松形弘樹や高橋秀樹の遠山金四郎が有名ですが、受験勉強でテレビはあまり観なかったので、彼らの「金さん」は観たことありません。
記憶にあるのは、小学校の頃の江戸を斬るという時代劇の西郷輝彦さん演じる遠山金四郎のみ。
他の時代劇の遠山の金さんは無職だったようですが、「江戸を斬る」の遠山金四郎は「大工の金さん」でした。
この「大工の金さん」という設定は、ホンモノの遠山景元が過去に歩んだ公職からするとピッタリといえます。
建築土木業務の監督行政官
町奉行は江戸の行政司法を担当する、東京地裁の裁判官かつ都知事を兼職する仕事ですが、遠山景元はそれ以前、小普請奉行と作事奉行をしています。
小普請奉行は城郭の普請や縄張りなど建築土木関係の管理官。江戸城、寛永寺、増上寺などの建築・修繕を監督しました。
作事奉行は幕府の造営修繕の管理のうち、建築が主で大工や畳職人、植木職人などを統括していました。
これら建築関係の奉行職では、江戸城築城などの公共事業の建築や修繕監理を経験したり、建築に関わる業務の違法性や職人の采配をしていたでしょう。
遠山景元は当時の建築基準法みたいな建築技術や土木の法律に精通した、建設業のエキスパートだったといえます。
ドラマの設定で、南町奉行という本業を隠して、悪党に近づくのに無職よりも定職があるほうが信用を得やすい。
過去に行政監督を経験し、知識の豊富な大工業務ならウソ肩書きとして使いやすい。その点を「江戸を斬る」のプロデューサーは考えてたかも知れません。
※ちなみに遠山の金さんは【勘定奉行】もやっていたようです。
ちなみに
一休さんでおなじみのショタな兄貴、蜷川新右衛門さんは「寺社奉行」
江戸の町奉行の管轄地域は箱根の仙石原まで
大岡越前や遠山金四郎が務めた江戸の町奉行は、都知事と東京地裁のトップを兼ねたような公務だったそうです。
と考えると、所轄は23区とかせいぜい蒲田の先の川崎・横浜(神奈川・保土ヶ谷宿)くらいが東海道の南端くらいに感じます。
ところが、箱根関係の郷土史を読んでいたら、箱根町仙石原の太郎平・太郎山という地域の土地境界紛争の裁定に大岡越前さんが登場します。
箱根の仙石原温泉の土地紛争まで越前様が裁判するのにも驚きですが、この時代で箱根の山奥の温泉街に土地境界の紛争があったとは・・・。
守備範囲はやはり箱根の関所まで?もしかしたら箱根と関わりの深い箱根峠を越えた静岡東部の三島や御殿場の土地紛争も裁いていたかも。