江戸の御触書に書かれた建築基準法や都市計画法の元祖的な法令
ブックオフで「江戸の御触書(おふれがき)」という本を買いました。
江戸の御触書(おふれがき)
時代劇などで江戸の街角に建て掛けられる「高札」という掲示板に貼り出される「幕府から庶民への命令&お知らせ」を1冊の本にまとめたものです。
100円コーナーで、この本の目次のなかの〝相場操縦した者は顔に「火印」の刑〟というのがツボにはまり、帰ってさっそく読みました。
江戸時代の建築基準法条例&都市計画法
江戸のお触れの中には、建築基準法と都市計画法を混ぜた条例みたいな、建物と敷地境界に関する命令が多数あったようです。
明暦の大火や富士山大噴火・大震災など、大災害の直撃が重なった江戸時代ならではの法律施行です。
贅沢な家は建て替えか改修せねば厳罰
倹約令は町人の住宅建築にも及んだようで、4月の末に「贅沢な町家は6月までに『質素之家』に建て替えよ!検査で改修されてなければ厳重に処罰する!」みたいなメチャクチャな法令。
自宅を所有する中級クラスの商人が対象で長屋暮らしの賃借人たちは関係なかったようです。
火事と喧嘩は江戸の華だけど防止は厳戒だった
火事が多かった江戸の街で、延焼防止のため道路拡張をドンドンやったようです。
中心街の日本橋周辺は10~18mに道幅が広げられたみたいで、つまり今の銀座や日本橋近辺の道路より広かったようです。
密集市街地のセットバック的な、おふれ
【路地・通路に屋根や軒、庇を張り出させて家を建てるな、既存住宅は建て替えし庇を撤去せよ…。】
詳細はわからないけど、こんな文脈。
でも、当時の浮世絵では街中にも屋根や軒のついてる住宅が描かれているから、きっと、道路から後退して自分の敷地に入ればOK!みたいな法律の抜け穴があったんでしょう。
今のみなし道路のセットバックによる再建築不可の解消で建て替え可能になるパターンみたいな。
材木商など建築関連業者は儲けすぎるな
敷地境界線に対するおふれも頻繁にあったようです。建築行政がポンポン改正され、火事も多かったので材木商を始め、建築関係業者は儲かってふんぞり返っていたようです。
だから、「材木商は人の足元を見るな!」というおふれも出されていたみたいです。
今の江東区木場辺りの隅田川には、火事を見越して大量の材木が浮かべ積まれていて、そこから「木場」とか「新木場」っていう地名がついたと、また別の本で読んだ覚えがあります。
東京の銀座は貨幣商が集まった場所。銀座・金座等の「座」は市場みたいな同じ商売人が集まるとこ。