江東区深川丼 発展歴史~深川七福神とロープウェイ構想
江東区深川は江戸経済発展の歴史の一翼を担った地域でした。深川区という地名が消え、昭和以降は古い下町のイメージで地味な存在でしたが、東京オリンピックを目前に今メチャクチャ近代化しています。
江東区深川 車両ナンバーの不満
東京都江東区の深川地域にリノベーション関係の依頼で行きました。
江東区は、ほんの20年前までは一面が広大な空き地、開発が始まる前の土地がむき出しのエリアと老朽倉庫ばかりでした。
都内で唯一、一般の歩行者が少なく、夜が閑散とする地域だったので、ドリフト族の連中が金・土曜日には集まり、道路に暴走防止用の凸凹が建設されるまでは横浜ほか他県ナンバーも見かけるほど人気でした。
それが、有明・東雲を始め、どんどん高級マンションの建ち並ぶ新興セレブタウンに変わり、【高級車の似合う区】に変貌しました。
江東区民にいわせると、港区並みに収入が高い層の居住区なのに、車のナンバーが足立ナンバーなので、ベンツに乗っても足立や荒川の貧困層のチンピラが無理して乗ってるのと同等の扱いを受けるのが不快だそうです。
【参考:関東の運輸支局と自動車検査登録事務所】
品川ナンバー管轄
千代田区、中央区、港区、品川区、目黒区、大田区、渋谷区、&大島・三宅島・八丈島・小笠原諸島
(このナンバー管轄があるので、むかし、大島や三宅島で車両ナンバーを登録する車庫飛ばしビジネスが流行しました)
VS
足立ナンバー管轄
江東区、台東区、墨田区、荒川区、足立区、葛飾区、江戸川区
(江東区とスカイツリーの墨田区、上野アメ横のある台東区は発展していますが、足立・葛飾・江戸川は隣接する千葉県船橋市等に近代化の面で負けています)
【参考:江東区に寄せられた区民の不満(笑)】
深川丼、相場・落語・江戸歴史
東京深川というと、相場(商品先物)に詳しい人、落語好き、江戸の歴史に興味ある人は反応しますが、一般的にはピンと来ない地名です。
「深川丼・深川メシ」というのは聞いたことがあっても、柳川丼とゴッチャになって、「泥鰌ゴハンだっけ?」と勘違いする人も多いです。
深川丼・深川めしは、アサリ・ハマグリ・アオヤギ等の江戸前・東京湾で漁った貝類を使った炊き込みご飯や丼飯のことを指します。
深川鍋も、あさり等の貝類とネギや白菜をお鍋にしたものです。どじょうを使った柳川鍋とは別モノです。深川○○と呼ぶ料理はたいてい貝類がメインのレシピです。
商品先物取引の街として全国的に有名なのは、日本橋蛎殻町(証券市場の兜町の隣)ですが、江戸時代の商品交易の中心は深川でした。
深川が米~材木その他の商品の交易路の中心として、江戸とその他の地域の【交易アービトラージ】を張る問屋や相場師が集まっていました。
嵐の海を渡って国内食料を売り買いし、莫大な富を築いた紀伊国屋文左衛門も深川に邸宅を構えたりしていたのは、先物相場師としてのステイタスだったのかも知れません。
相場師・旧山一證券の初代社長である杉野喜精も深川出身であり、旧山種証券創業者で相場の神様と言われる山崎種二も深川の米相場で名を馳せました。
深川についての著書としては、江戸時代のビジネスを題材にした小説家・山本一力氏の一連の作品がどれも秀逸です。
深川在住の山本氏の小説を読むと、江戸歴史と深川についてのあるある・マメ知識が豊富になります。
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江東区深川資料館や深川図書館が江戸歴史探訪で人気ですが、山本一力作品は家にいながら江戸探訪ができます。
深川七福神
深川七福神は、江東区深川地区の神社・寺に、まつられている七福神さま達の総称です。
深川七福神巡りは、七福神が安置されている神社や寺が比較的ご近所同士なので、数時間で七福神すべてをまわれる、リーズナブルな観光ツアーです。
深川七福神観光〔門前仲町~清澄白河〕
深川地域自体、小さな町なので、深川七福神を巡るのに、交通の乗り換えは必要ありません。
門前仲町駅か清澄白河駅で下車し、案内標識や看板に従って巡れば、深川七福神観光で「道に迷う」ことはありません。
深川七福神・恵比寿神
深川七福神・恵比寿神のあるのは、富岡八幡宮です。
富岡八幡宮は、1627年、永代島という島に築造されました。この辺りは、今は永代橋とか永代通りという地名が残る東京の主要地ですが、元は海岸沿いの砂洲でした。
それを埋め立て、富岡八幡宮が建てられ、門前中町その他の商業・交通エリアが発展して深川地域が構築されました。
深川七福神・弁財天
深川七福神・弁財天は冬木弁天堂に安置されています。
冬木弁天堂は、江東区木場の材木の材木相場で名を馳せた冬木弥平次が相場の町茅場町から深川に転居した折に弁財天を安置したため、冬木の名前が冠されました。
この辺りの町名も冬木弥平次の苗字にちなんで冬木町と名付けられました。
冬木弁天堂
東京都江東区冬木22番31号
深川七福神・布袋尊
深川七福神の布袋尊は、深川稲荷神社にまつられています。
深川稲荷神社は、深川七福神の中では知名度的に一番有名な神社かと思います。「深川稲荷、ふかがわいなり」と呼び易い社名だからかもしれません。
深川稲荷神社
東京都江東区清澄2-12-12
深川七福神・福禄寿
深川七福神の福禄寿、またの名を福禄人とも言う頭の長い神様は、心行寺の六角堂に安置されています。
心行寺
東京都江東区深川2-16-7
深川七福神・大黒天
深川七福神の大黒天、袋を担いで小槌をふっている福の神サマは、円珠院に祀られています。
円珠院の大黒天は、江戸時代から深川の大黒天として地位が確立していた由緒ある大黒さまです。
円珠院
東京都江東区平野1-13-6
深川七福神・毘沙門天
深川七福神の毘沙門天は、龍光院にあります。
毘沙門天は武神として崇められ、戦国時代の戦の幟に「毘沙門天」と書かれたり、昭和の東京の暴走族のチームがその名を名乗ったり、勇ましいイメージのある神様です。
深川龍光院の毘沙門天は、戦災で焼失しましたが、昭和50年に木彫の像が彫られ、現在に至っています。
深川七福神・寿老神
深川七福神の寿老神・寿老人は、深川神明宮に安置されています。
深川神明宮は深川で最も古い神社であり、深川地域を開拓した時の鎮守の社として創建されました。
深川はかつて葦の生い茂る中州地帯でした。
茅場町が茅の茂る原野だったように、現在の東京の金融街は、江戸の昔は葦・茅の生い茂る草むらでした。
この深川エリアは、深川八郎右衛門という人が開拓し、村の名前もない野原の小村だったのを、徳川家康が深川八郎右衛門の名をとって、深川村となづけたとのことです。
深川の氏神として存在しています。
深川神明宮
東京都江東区森下1丁目3番17号
江東区のオリンピック・ロープウェイ構想
旧深川にあたる、旧名深川大工町・材木町・安宅町も一気に高層ビル街に代わり、今は2020東京オリンピックや東京都中央卸売市場・築地市場の豊洲移転を前提とした急ピッチな開発がラストスパートを迎えています。
江東区には東京ビックサイトをはじめ、近代的な建造物が溢れています。
そして、2~3年前、江東区長の山崎孝明氏が、湾岸エリアの新観光・交通として、汐留から豊洲までロープウェイを建設する構想を、東京都に対し発案しました。
ほんとは2020東京オリンピックに間に合わせたかったそうですが予算不足でアウトになったとのこと。
江東区には、東京オリンピックの種目のうち、半分近くの種目が集中します。
オリンピックで他国に見せる、東京の近代化の1つとして、巨大ロープウェイは効果が高いでしょうから、江東区長の発案が通らなかったのは残念です。
今でも、新橋~豊洲間を結ぶモノレール【ゆりかもめ】はいつ乗ってもベイエリアにショッピングに行く若者で溢れていますし、未来都市東京の雰囲気を醸し出しています。
これに、いつかロープウェイが建設されたら、東京の【未来都市感】は更に高くなりそうです。
空中交通は、未来都市の象徴であり、江東区長のロープウェイ構想は、それを一歩現実に近づける都市計画になるんじゃないかな、と、今日、仕事で清澄白河駅から深川地域あたりを歩いた時に感じました。
(清澄白河駅の【清澄】=『せいちょう(清く澄んだ風景)=×』『きよすみ=○』→【きよすみしらかわえき】…今日、初耳でした)