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縄文時代の建築様式調査で昔の研究にズレ

NHK朝のニュースで、縄文人DNAの調査研究が進んで、日本人のDNAが朝鮮・中国系グループではなく、チベットなど大陸内部の山岳地帯の人々の「Y染色体」というグループらしいと報じられていました。

「ながら聞き」をしていたので、内容がわからず確認のため検索したら、このニュースに相当の人が興味を持ち、ツイートやコメントで盛り上がっていました。

神奈川県の縄文時代遺跡

昔、遠足かなんかで神奈川県立博物館にいって、所蔵品の縄文時代の土偶や縄文土器をながめた記憶がありました。横浜市内でも都築区や泉区では30年くらいの近年なら、雑木林を開発した宅地をほじくっていると土器が多数出たようです。

鶴見川や多摩川などの大河川や三浦半島の海沿いなども遺跡が残っています(横須賀の諸磯、夏島、茅山貝塚など)。貝は動かないから手づかみできるけど、黒鯛やスズキの骨も出土したそう、釣ったのかどうかは不明。

縄文時代の建築様式、調査の結果ズレ発見

当時の建築様式、竪穴式住居について、子供の頃は「半地下の床の上に太い木を基礎なしの掘っ立て式に埋めて、その周囲に木の枝の梁を巡らし、木の枝の上を茅葺にした建物」と勉強してきました。

そして、その半地下茅葺の住居の中に囲炉裏を組んで火を炊いて、鹿や猪の肉や魚介類を料理して食べて生活してた、みたいなライフスタイルだったと教わりました。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/87/Jomon_People_and_Jomon_Dog.jpg

縄文時代 - Wikipedia

これが、近年の調査ではちょっと違うというズレの部分が発見されているようです。竪穴住居は季節によって住替えする、また家族団らんの「家」というより単に寝に帰る場所だった、みたいな。

縄文建築の木材の伐採や製材技術は、かなり秀逸

昔も夏は暑かったわけで、茅葺で半地下の屋内などには長居できないから、夏は近くの低木に木の枝を積み重ねた鳥の巣状の寝床を作り、そこで生活してたと考えるほうが「理屈に適っている」んじゃないかと言われてるみたいです。

今は「CG映像」でしか観られない縄文住居ですが、どう見ても、夏、暑苦しそうです。夏だけ屋根の茅葺を取っ払う手間をかけるより、竪穴住居はそのままに涼しい木の上や木陰の地面に寝そべったほうが自然です。

土地の所有権などもなく、地主が居たわけでもないから、集落のどこで寝起きしても一緒。なので、食事も竪穴・横穴の「室内」でなく、住居の外で食べたんじゃないか、そしてトイレは臭うから100mくらい遠くでした、とか、そんな見方が強いそう。

「保存でき交換計算が容易な『米』の文化」が始まるまでは、住居も共同で建てたり、食料の奪い合いもなかったりとのん気な暮らしができたみたいです。貯え、交換で差益を取れ、格差が生まれる米文化が広まり「争い」が始まったらしいです。

原始的な共同生活が即ち平和の象徴だと考えるのは、怪しい宗教団体の始まりみたいで、争いのある競争社会のほうがぜんぜんマシですけど。

日本人の祖先の手先の器用さにオークションで高値がついた

縄文人の平均寿命、昔は30歳前後、今はなんと(乳児死亡率も入れたら)14~5歳だったと言われてます。ほんとかな?と疑いたくなる話です。

そんな若死にばかりだと、長老などの「大人」がいなくて、文化伝承できないじゃん、と思ってしまいます。研究結果で、結論付けられているそうですが、信じがたい。

ところで縄文様式の住宅建に使う木の伐採や製材には、以外ですが、柔らかい石を研磨して尖らせて使っていたそう。硬い石を刃物にすると手間もかかるし、硬い木を削るには向かないみたいです。

硬い木を削るには、柔らかい石を何度も研磨して尖らせたほうが「刃先が木に刺さりやすい」とか。よくこんな逆転の発想ができたと感心します。

また、舟を作るため大木に空洞を空けるのに、燃やして酸化させ木を削りやすくする工夫もしていたそう。穴にする部分を燃やして、削って、燃やして、削ってを繰り返し、舟作って海を渡るとか、けっこうなベンチャーです。

そもそも、縄文土器とか土偶とかをみると、かなり手先が器用だったようですから、木材の加工についての知恵も沢山もっていたのでしょう。

最近、ロンドンの競売会社サザビーズのオークションで、日本の縄文時代の土偶が「一億九千万円」で落札されたそうです。芸術品ではなく遺跡品にこれほどの高値がつくのは珍しいようです。

サザビーズ - Wikipedia